記事を書くに際し、"褒める" と "ほめる" でどちらが検索エンジンにヒットするか調べた時に、褒めるトレーニングだとか、褒める技術の様なタイトルを目にしました。
私はそれに対して違和感を感じざるを得ません。上司・部下の関係であろうと恋人や夫婦であろうと、感心を寄せていれば自然体に褒めることが出来るはずです。
余計なプライドは邪魔になるだけ
本人に直接褒めるとのぼせるから本人には (滅多に) 言わずに他人の前では褒める場合や、表現が直接的すぎるとありきたりで伝わらないかもしれないからと、婉曲に表現するかフレーズを気にしすぎたりするケースはよくあることでしょう。
ただ、簡単に言えば小難しく考えすぎです。また変なプライドが素直に褒めることを躊躇させているだけです。
褒めただけでのぼせる人は、その後いずれトラブルや壁に突き当たって自然に磨かれていきますし、婉曲な表現は単に誤解を生みやすく、言葉を重ねないと本来の意図は伝わりにくくなるだけです。
そして、言葉を重ねれば重ねる程本来褒めようとしたエモーションから遠ざかります。
そう考えれば、褒めることにあたかもトレーニングやスキルが必要な気がして頭でひねくり回している時点で時間の無駄です。
褒める時は素直に褒めれば良いのです。美味しいものを食べて喜ぶ時、婉曲に喜びますか ? 言葉を重ねて喜びませんよね。
褒める行動の元は感動ですから、極力その時の気持ちに忠実に表現すれば良いだけです。
それが出来ないということは、邪魔で無駄なプライドを身にまとっているとまず気が付くべきですし、常に反省点として留意しておくべきポイントでしょう。
うまく褒められる能力も必要
褒められる側には褒められ上手とでも言うべき、うまい褒められ方も必要でしょう。
常に褒めて欲しいオーラを出している感じの人にはあまり褒め言葉は出したくなる気持ちがすることも事実です。
依存心や劣等感が強い場合はその傾向が強くなりがちですが、そのままでは気持ち良く褒められることはないとまず知ることからスタートすれば良いでしょう。
不思議なもので、褒められたいと思っているうちは滅多に褒められませんが、褒められることをまったく念頭におかずに注力・集中している場合は褒められることが多いのです。
これは想念の力学から言えば当然だったりします。褒められたい人からは相手から自分に言葉や気持ちを引き込もうとする向きの波長が常に出ているので、普通の人が寄れば自分のエネルギーが奪われ続ける様な気になるのです。
"笑顔は笑顔を呼ぶ" ことを考えれば、その逆向きのことが起こると考えれば理解しやすいでしょう。
感性の向上
相手の長所や小さな変化に気が付くには、感性が錆びついていては気が付くことが出来ません。
感性を磨き続けると言っても、それ程難しいことではありません。毎日苦しい修行が必要な訳でもありません。
常々 "素直" について考え、行動し、反省する。その繰り返しだけで良いと想います。出来事からも風景からもたくさんのことが拾える様になるでしょう。